2012年3月14日水曜日

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Foresight
核燃料再処理工場「六ヶ所村」はどういう所か
2011/05/02
出井康博 Idei Yasuhiro
ジャーナリスト
(1)http://www.fsight.jp/article/10448

 在日米軍基地で有名な青森県三沢市を抜け、本州最北端の下北半島を車で北上すること約30分。でこぼこの目立っていた狭い国道が、突然、高速道路のように広く平坦な道に変わる。それが六ヶ所村に入った証だった。
 六ヶ所村は、下北半島の太平洋側に位置する村だ。面積は大阪市よりも広いが、人口は1万1千に過ぎない。かつては「日本の満州」と呼ばれた貧しい村だっ た。畜産や漁業以外に産業は乏しく、冬になると東京へと出稼ぎに向かう村民も多かった。しかし、1980年代半ば、原子力発電のための核燃料を再処理する 工場を誘致したことで状況は一変した。
 今や六ヶ所村は、全国有数の豊かな自治体となった。1人当たりの村民所得は年1364万円(2008年度)と、青森県の平均237万円を6倍近く上回 る。1人当たり所得には企業所得も含まれ、単純に個人の所得水準を指すものではない。とはいえ、再処理工場の誘致で、六ヶ所村が以前とは見違えるリッチな 村に生まれ変わったことは間違いない。

18回もの完成延期

 再処理工場とは、使用済み核燃料からウランとプルトニウムを抽出する施設である。その後、2つの物質を加工し、通常のウラン燃料よりも高出力 のMOX燃料をつくり出す。こうして「核燃料サイクル」を実現することで、輸入頼みのウランを有効活用しようというのだ。ただし、プルトニウムを含む MOX燃料は、原発から放射能が放出される事故が起きた場合、人体や環境に与える影響がより大きい。また、六ヶ所村の再処理工場には40年間で約19兆円 という莫大な操業費が見込まれ、経済合理性を疑う声も強い。原発を持つ諸外国でも、MOX燃料の利用を避けている国は少なくないのである。
 それでも日本は、核燃料サイクルを国策に掲げて推進してきた。その中核を担うのが再処理工場である。しかし、国内には茨城県東海村に実験目的の小規模な 施設があるだけだ。そこで1993年、六ヶ所村での本格的な再処理工場建設が始まった。当初は97年に完成するはずだった。だが、安全上のトラブルが続 出。これまで18回もの完成延期が繰り返された末、現在も試験運転が続いている。7600億円と見込まれていた費用は、すでに3倍近い約2兆2000億円 にまで膨らんだ。
 そんな中、3月11日に東日本大震災が発生した。福島第一原発からの放射能漏れが始まって以降、原子力発電の是非を巡る議論も高まっている。同原発3号機にMOX燃料が使われていることも問題となった。とはいえ、世の関心は、今のところ六ヶ所村にまでは及んでいない。

米国での強い関心

六ヶ所村役場
大震災が起きて以降、筆者は米経済誌「フォーブス」の特派記者として震災関連の記事を書き続けている。震災発生から約1週間後には福島県へと入り、原発で働く人々や周辺住民を中心に取材を行なってきた。そこに同誌編集部から「六ヶ所村」をルポするよう指示があった。
 今回の大震災で、米国の目は「福島原発」に集まっている。「世界1の原発大国」米国には、日本の2倍近い104基の原発がある。1979年に起きたス リーマイル島での原発事故から30年余りを経て、再び原子力発電を推進すべきかどうかの岐路に立っている。サウスカロライナ州のサバンナリバーサイトで は、MOX燃料の製造工場も建設中だ。福島原発、さらには六ヶ所村の再処理工場を巡る状況は、決して他人事ではないのである。
 六ヶ所村に向かう前、筆者は2つの取材先にアポイントメントを入れようと試みた。六ヶ所村の古川健治村長と、再処理工場を運営する日本原燃である。
 しかし、いずれも取材は拒否された。古川村長は「多忙」を理由に断ってきた。一方、日本原燃は、震災の影響で「見学ツアーを中断している」「福島原発に 支援スタッフを送っている」ため取材に応じられないという。両者とも取材に応じる気は全くないようだ。たとえ米国メディアであっても、「福島」と結びつけ られるような報道を恐れているのだろう。
 とりわけ日本原燃は、福島原発の問題で非難を浴び始めていた東京電力と関係が強い。原燃は全国の電力会社(沖縄電力を除く)が出資する合弁企業だが、な かでも東京電力は約20%を所有する筆頭株主だ。東電の清水正孝社長は原燃会長を兼務しており、原燃の川井吉彦社長も東電出身である。

(2) http://www.fsight.jp/article/10448?ar=1&page=0,1

「日本原燃の村」

日本原燃の社宅
 仙台から車で400キロ近く走って辿り着いた六ヶ所村は、まさに「日本原燃の村」だった。村に数軒ある宿は、いずれも再処理工場で働くた め全国から集まった労働者向けの長期滞在施設となっている。村中心部の高台には、小さな村には似合わない近代的なマンション群が広がっていた。2000名 を超す日本原燃社員向けの社宅である。テニスコートが完備され、一角には村で唯一のショッピングモールもある。社宅の前には、高級そうな4WD車が列を成 していた。
「社員には、独身の男性や単身赴任者が多いんです。六ヶ所村のような僻地まで家族を伴ってくるのは気が引けるのでしょう。社員の人たちは、週末になると三 沢や八戸に出ていきます。平日は工場内の社食で済ます。だから村には、レストランや飲み屋もほとんどないんです」(宿のフロント従業員)
 再処理工場は、村の中心部から10分ほど走った場所にある。広大な敷地に関連施設が並ぶ風景は、まるで工業地帯のようだった。少しでも情報を漏らしたく ないのか、敷地の周囲は高い柵で囲まれている。かろうじて奥が見渡せる正門の前で写真を撮ろうとしていると、警備員が走ってきて強い調子で制止した。
 村が日本原燃から受ける経済的な恩恵は計り知れない。再処理工場に先立ち、ウラン濃縮工場の建設が始まった1988年度には40億円程度だった村の予算 は、2009年度には3倍以上の約130億円にまで増えた。収入の半分近くを村税が占めるのも、地方の小さな自治体としては異例のこと。その大半は村に本 社を置く日本原燃と社員が納める住民税と見られる。村予算の積立金も約80億円に達し、地方交付税交付金も受け取っていない。
 村役場や公民館、図書館といった公共施設は、中規模の市並みの豪華さだ。村を車で走ると、あちこちに小規模の建設会社が目についた。再処理工場を誘致して以降、道路などの公共工事が一気に増え、村に雇用の機会が生まれたのだ。

「仕事がないのも困る」

「反対派」の高田與三郎さん
古川村長を始め、定数20名の村議会にも再処理工場に反対する議員は1人もいない。工場の誘致運動を進めた髙田竹五郎・六ヶ所村議会副議長(取材当時)が言う。
「ここと福島は安全面でも大違いだ。一緒にしてもらっては困る。私自身も若い頃は東京に出稼ぎに行っていた。しかし工場のお陰で、村民が出稼ぎに行く必要もなくなった。工場だけで300人も雇用してくれているんだ」
 もはや村には、反対運動すら存在しない。2010年6月の村長選でも再処理工場「反対派」の候補者が立候補したが、3選を果たした古川村長の5106票 に対し、わずか274票しか獲得できなかった。かつての反対運動の中心メンバーで、村長選に4回立候補した経験を持つ高田與三郎さん(86歳)が言う。
「我々は権力と金の力に負けたんだ。(再処理工場の建設を中止するよう)裁判をしても勝てやしない。人間をバカにした話だ」
 村社会で「反対」を唱えれば、しっぺ返しは大きい。高田さんの50代後半になる息子は、これまで1度も仕事に就いた経験がない。父親が反対運動を進めた影響で、村内で就職先が見つからなかったからだ。
「福島原発の使用済み燃料も、六ヶ所に持ってくるという話だ。本音をいえば、誰も再処理工場など望んでいない。しかし、仕事がないのも困る」
 村で出会った元酪農家の老人が、村民の気持ちを代弁してくれた。
 福島原発の問題が、日本の原子力政策に転換を迫るのは間違いない。六ヶ所村の再処理工場が本格的に稼働し、核燃料サイクルが実現する日が来るのかどうか。最も注目しているのは、核の危険と引き換えに雇用と富を手にした六ヶ所村の人々だろう。

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