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被災地・福島をめぐってすれ違う課題【前提編】
――社会学者 開沼 博
【第2回】 2013年3月7日 (1)~(5)
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▼全文転載
(1)
2013年、正月。耳に入ってくるのは、鳥の鳴き声と近くの通りを通過する自動車の音くらい。気温こそ低いけれども、陽の光は地面に真っ直ぐに差し込み、空も穏やかに見える。
もちろん、そこに漂う空気には味も香りもない。無理矢理に表現するならば、「田舎の草の匂いがかすかにする」とでも言うべきところだろうか。
もう2年なのか、「まだ」2年なのか――。
その風景が象徴するように、2年経って日本社会の大きく重い構造が変わったかというと、震災直後から何も変わってはおらず、むしろ、その「何も変 わらなさ」自体を私たちは忘れ始めている。その一方で、相対的な弱者に最も大きい負荷としわ寄せが集まり続けて、例えば、震災関連死は増え続けるままだ。
震災から2年を迎えた現在、被災地・福島に転がる課題とは、いかなる課題なのだろうか。
(2)
「福島の課題」の前提になっている誤った「常識」
2年後の震災を考えるうえで理解していただきたいことがある。2回に分けてその説明をしよう。大きく言って、今日は「前提編」、明日は「前進編」と考えてもらえればと思う。震災から2年が経過した福島、あるいはそれ以外の被災地を理解するうえで重要なポイントは以下の3点だ。
(1)必ずしも人口流出・雇用不足に陥っているわけではない
(2)必ずしもそこにある問題は震災由来ではない
(3)必ずしもそこに生きる人に震災当事者意識があるわけではない
「前提編」となる今日は、「いかなる認識の前提が必要か」を述べる。
まず、「福島の課題」とされる「常識」を相対化する作業をしてみよう(細かい話になるから、結論だけ知りたい方は、本ページの最後「よって命題は否定される」まで読み飛ばしていただいて構わない)。
例えば、福島の状況を思い描く時に、多くの人の頭の中に漠然とした「常識」として存在する仮説の1つがこれだろう。
仮説:事故の影響で福島県では人口流出、雇用減少が続いている
(なお、これは、毎日新聞2013年01月14日社説「東電福島本社 体制を強化し復興急げ」の 9段落目からそのまま引用したものだが、「復興を急ぐことが必要だ」という真っ当な主張を持つ社説自体が悪いというわけではない。言いたいことは、大手新 聞が前提とする通り、多くの人がこの「仮説」を多かれ少なかれ当然のものとして受け入れてしまっている現状があるだろうということだ)
しかし、果たして「原発事故の影響で人口流出が続いているという」事実認識は正しいのだろうか。
つまり、「福島県から県外への避難者の数」は「2012年3月をピークに減少トレンドに入っている」というのが統計的事実だ。県外避難者は2012年3月の6万2831名から減少し、2013年1月現在で5万7135人になっている。
もちろん、留意点はいくつかある。例えばここで指摘する「避難者」の定義の曖昧さ。県内に戻る意思がある人のことなのか、住民票を県内に残したま まに県外に出ている人のことなのか、放射線量が高い故の強制避難なのか、必ずしもそうではない自主避難なのか、復興庁に問い合わせたところ「自治体ごとに 出されている避難者の数を集計しているが、明確な基準はない」ということだった。
しかし、そのうえで、すでに県外避難している人のうち福島に戻らない前提の人が増えているとしても(毎日新聞「東日本大震災:県外避難者『故郷戻らぬ』8割 本紙調査」において県外避難の長期化の中で「移住」が増加する傾向にあると指摘されている)、「実はこの数字には現れないところで大量に県外に避難する者の数が増えているんだ」ということまでは言えないだろう。
もう1点、「県外避難者」の減少傾向に加え、「福島県外への転出/県外からの転入の割合の変化」を見ていこう。「原発事故の影響による人口流出が続いている」のであれば、原発事故の影響によって県外への過剰な転出超過が続いているはずだ。しかし、実際はそうではない。
福島県庁「福島県の推計人口」によれば、2012年度下半期には、震災以来続いてきた「過剰な転出超過」の傾向は衰え、震災前水準に戻りつつある(11月までのものであるがわかりやすいグラフが掲載されているので、こちらをご参照いただきたい)。
ここからも、やはり「原発事故の影響による人口流出」は「収束に向かいつつある」というのが統計的事実であることがわかる。つまり、「原発事故の影響で人口流出が続いている」という仮説は統計的に見れば明確に誤っている。
(もちろん、そういう主張に至り得る側面もある。例えば、福島民報「転出超過1万3843人 昨年の本県人口流出続く」で は、「24年の転出超過が震災発生前22年の5752人に比べて2.4倍となっている」旨が述べられている。確かに、24年を通した転入出の合計値を見れ ば、転出超過の規模は未だ過剰であったと言える。しかし、先に見た通り、「原発事故の影響での人口流出」自体は収束に向かっているなかで、今後は徐々に落 ち着いてくることが予想される。そして何より、そもそも震災以前から過疎化現象があったということを踏まえれば、震災による転出要因以外にも、転職や進学 などを含めて転出要因を検討していく必要があるだろう)
次に、仮説の中にあったもう1つの前提を検証しよう。すなわち、「事故の影響で福島県では雇用減少が続いている」のかだ。
これは、さらにあっさりと統計的に反証可能だ。読売新聞「求人倍率全国2位、1.23倍…福島」にある通り、福島県は「日本でトップクラスの雇用機会がある地である」と、少なくとも統計的事実として言えてしまう。
よって
仮説:事故の影響で福島県では、人口流出、雇用減少が続いている
は、否定される。
(3)
3%への「善意」で忘れられる97%の人々
ということで、「原発事故の影響で福島県では、人口流出、雇用減少が続いている」という、少なからぬ人が持っているであろう「常識」は疑ってかからなければならない。しかし、そういうことを言うと、(多くの人は「へーそうだったんだ、知らなかった」と言ってお終いだろうが)ある種の指向を持つ人々は違和感を抱 き、時に強い反発を示すだろう。「お前は偏った見方をしている。県外に出て行っている人のことを軽視しているのか」「避難したいと思っている人はいっぱい いるんだ」「震災があって職にあぶれている人もたくさんいるんだ」などと。
統計的事実の提示に対して印象論が返ってくる、というのはあまりにも不毛なリアクションであるが、意外とそういったリアクションが多いと予測され るので言及しておこう。その予測は、私がこれまで、例えば「県外避難者は6万人だが、福島県民200万人の中では多く見積もっても3%程度にすぎない」と いう事実を繰り返し指摘してきた経緯のなかで立てられたものだ。
「避難者は全県民の3%程度にすぎない」という指摘に対しては、「3%にすぎないとは何事だ」「本当はみんな避難したがっているんだ」などと的は ずれな反応が、「我こそは福島のことを誰よりも考えている」とでも言いたげな外部者や「我こそは社会的弱者やマイノリティの問題に敏感だ」という自意識が 高いであろう方々から、しばしば返ってきた。
本来、「避難者は全県民の3%程度にすぎない」というメッセージからは、「県民の3%にすぎない人々を社会全体でどうケアしていけるか」と同時 に、「97%のことを忘れようとしてはいないか」ということを読み取るべきであって、「3%だから見捨てろ」などという話はしていない。しかし、少なから ぬ人は「善意」から勝手にいらぬ気づかいをし、明確な事実を「見て見ぬふり」しようともする(この構造やそれが生み出す問題点の詳細については、拙著『フ クシマの正義』〈幻冬舎〉で論じたのでここでは省略する)。
いずれにせよ、ここで問いたいことは、極端な言い方をすれば「福島県民は実は数字で把握できないところで県外に大量避難していて、残っている人は 今もみな放射能に恐れおののき、そこから逃げ出したいと思いながら暮らしているはずだ」というような、あるいはそこまでいかずとも、ある種の「正義感」に 基づいた固定観念がありやしないか。そして、その固定観念とともに、いつまでも頭のなかで「被災地・福島」を「人も仕事も外に出ていっている、不幸で終 わっている地」にしばりつけていやしないか、ということだ。
安易なマスメディア批判や、ある偏った情報の扱い方をそこで望む大衆社会への批判をしたいわけではない。悪意などなく、むしろ「かわいそうな被災 地を何とかして労りたい」という「善意」があるが故に、単純化した構図の中に「被災地」を押し込めながら「見て見ぬふり」をするものを作り出していない か。思考停止してはいないか。それを問うために、私はあえて「3%にすぎない」「人口・雇用は流出していない」と言い続けている。
(4)
悪意なき無意識で「見て見ぬふり」をされる真の課題
では、単純化した構図の中に「被災地」を押しこめながら「見て見ぬふり」をすることにどんな問題があるのか。例えば、朝日新聞「『今でも避難したい』福島市民の34% 市調査」について考えてみよう。
「『今でも避難したい』福島市民の34% 市調査」
この見出しの付け方は、たしかに「弱者としての福島」や「福島の中の弱者」を慮っているように見える。何もメディアに悪意があるわけではなく、多 くの人が「福島はまだ危険なんだ」「もっと避難させてあげたい」と思うだろう。この見出しが持つ「今でも福島市の人は相当数避難したがっている。みんな危 ないと思っている」というメタ・メッセージが良心を刺激する。
しかし、この調査結果からは別の見出しも立てられるだろう。「福島市民の66%がすでに避難を検討から除外 市調査」と。
その時、この見出しが放つメタ・メッセージは少なからず変わるだろう。「放射線量はあまり下がってないし、いわゆる『風評被害』もあるみたいだけ ど、もはや多くの人にとって『避難』するかどうかという問題は主題ではなくなっているんだ」といった課題の提示が、より明確になるはずだ。
前者は、震災後極めて単純化された「避難」(あるいは「除染」や「補償」)という課題を前提としての見出しや記事の内容、そのメタ・メッセージが できているといえる。一方で、後者は、(単純化された課題である)「避難」には課題を単純化しきれない、というメタ・メッセージを持つ。
この場合、前者では、「救うべき弱者の姿」がわかりやすく、後者ではわかりにくい。また、前者のほうが、多くの「被災地を慮る人」がより想像を膨らませやすく、共感しやすくもある。
しかし、2年が経った福島の現実に迫るためには、より後者のメタ・メッセージを認識する必要がある。この地域の問題は、ただ単純に「福島が危な い」「避難をさせろ、その権利を認めろ」などと言えば済む話ではなく、「いかにそこで暮らしていく環境を作るのか」という話もまた行っていかなければなら ない。それは、内部被曝を避ける方法を周知することなのかもしれないし、地元産作物の安全を確保することなのかもしれないし、あるいは屋外で人が通ること が多い場所を効率的に除染することなのかもしれない。
いずれにせよ、「避難」(あるいは「除染」や「補償」)への「課題の単純化」が進められることは、本来そこで向き合うべきより細かな課題やその解 決策を「見て見ぬふりする」ことを促し、現地で取り組まれるべきことを取り逃がす。「課題の単純化」がその「取り逃し」を放置するのであれば、いくら「福 島のことを考えている」と連呼しようとも、それは思考停止でしかなく、「被災地・福島」は忘却の中に追いやられていることを示す。
念のため断っておくが、私自身は、震災後に県外に避難したり、これから避難しようとする人々のことを考えるのは重要であると考えており、また避難 した人をケアし、地域の雇用状況を改善することも何より大切なことだと考えている。人文社会科学系の研究者として、それらの問題に対して的はずれな「正義 感」に基づいて大声をあげている人よりは、それなりの蓄積を積み上げてきたつもりだ。
しかし、そうした価値観を持っているからこそ、「事故の影響で福島県では、人口流出、雇用減少が続いている」というような「善意」に基づく認識や、「課題の単純化」を正していく必要があると考えている。
(5)
複雑化した問題を直視するための新しい3つの前提
さて、話を「仮説:事故の影響で福島県では人口流出、雇用減少が続いている」に戻して「前提編」を閉じよう。論証を通して、「仮説:事故の影響で福島県では人口流出、雇用減少が続いている」を否定した。しかし、だからと言って「人口流出していない」「雇用減少していない」というような雑駁な主張をするつもりもない。
すでに述べた通り、他の多くの地域と同様、震災前から福島県では、久しく過疎化が進むなかで人口は流出していたし、産業が衰退するなかで雇用も減 少していた。現在一時的に雇用は増えているものの、職に就けない人も多く、その理由の1つとしては、復旧や除染作業など、土木・建設関係の雇用が多い一方 で、デスクワークや女性が就ける仕事が必ずしも増えていないという状況があり、雇用のミスマッチが起こっていることが指摘されてもいる。
人口や雇用の問題は、震災が起きたかどうかに関係なく、以前からあった問題が今に続いているものであり、震災がその人口流出や雇用減少の傾向をよ り加速させたこともまた事実だ。そのため、「必ずしも、事故の影響で人口流出、雇用減少に陥っているわけではない」というのが適切な表現だろう。
しかし、多くの人が認識の前提に「震災があって○○が起こった」や「原発事故さえなければ○○にならなかった」というパターンを置くことに慣れ きってしまったなかで、あらゆる問題を「震災由来の問題」に回収する癖がついてしまっているようにも見える(「人が減ってる?震災のせい」「仕事がうまく いかない?原発事故のせい」……)。
被災地を歩いていて耳にするのは、「若い人が出て行ってしまう」「コミュニティ(家族・地域社会)が崩壊している」「仕事がなくなっていく」「ネガティブなイメージがついて観光や外の人がよりつかなくなる」といった声だ。
だが、一歩引いて考えてみる必要がある。これらの声は、被災地ではない、日本のあらゆる地域からあがってくる声そのものに違いないことを。
たしかに、今被災地にある問題は震災以後に鮮明になった問題ではあるが、震災以前からゆっくりと確実に進んできた問題であった。3・11はそれを より先鋭的に私たちに示したに過ぎない。そう捉えた時に、福島やその他の被災地が抱える問題の見え方も大きく変わってくるだろう。
震災から2年、より複雑で不可視になっていく問題を「善意」や無意識の中で「見て見ぬふり」をせず、直視しながら思考停止を避けなければならない。そのためには、これまでと少し違った認識の前提を置いていく必要があるだろう。重要なポイントは以下の3点だ。
(1)必ずしも人口流出・雇用不足に陥っているわけではない
(2)必ずしもそこにある問題は震災由来じゃない
(3)必ずしもそこに生きる人に震災当事者意識があるわけではない
「前提編」では(3)に触れられなかったが、「震災から2年ということで被災地のことを考えてみよう」という「善意」、無意識のうちに震災を見て見ぬふりをしてはいないかという疑い、この点を明日の「前進編」ではさらに掘り下げたい。
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